この時代の祈り 詩篇86:6-11  2021.5.2

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「人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到を祈る」

 今年の歌会始で天皇が詠まれた歌です。これは、この時代の中にある多くの人たちの祈り、願いであると思います。

キリスト者の祈りは、神を賛美する、礼拝する祈りです。祈りの対象が、しっかりとしているのです。この詩篇には、祈りの対象である神について、神は慈しみ深い方、赦しに富んでいる方、怒るのに遅く恵みに富んでいる方、そしてあらゆる神々に勝って大いなる方であることなどが、歌われています。それに反して、ダビデは自分自身のことを、あるいは今の境遇をどのように書いているでしょうか。苦悩するダビデの姿が見られるではありませんか!「私は苦しみ、貧しいのです」から始まり、しもべであるなどと書かれています。その極めつけが13節の「あなたが私の魂を、陰府の深みから救い出してくださる」という言葉でしょう。絶望的な苦しみ、死を覚悟せざるを得ないほどの苦しみの中にいると訴えているのです。しかし同時のこの言葉は、そこから救ってくださるのは、神であることも示しているのです。

祈りは、自分で叫ぶだけではなく、聞いてくださる方がいて完結します。ですからダビデは、耳を傾けてください、聞いてください、願いの声に心を留めてくださいと言っているのです。これは私たちも同じですね。

時に私たちの祈りや願いは、聞き届けらなかったのではないかと思うことがあります。いわば、祈りが叶えられないことがある、ということです。自分の願いや訴えがすべて叶うのが、祈りではありません。以前も学んだように、究極の祈りは、私たちの主が祈られたように「主よ、御心をなしてください」というものです。それは11節にあるように、へりくだり、心が一つにされ、神様の思いとも一つになることです。

この時代の祈りの多くは、コロナ禍の収束でしょう。宗教や国の違いを越えて、共通の祈りとなっています。身近なことだけでなく、世界を取り巻くいろいろな出来事や情報が、あなたの目や耳に入ってくることでしょう。それらはすべて、祈りの課題となります。私たちは、多くのことを祈れません。それらの中で、神様があなたに委ねられたテーマを覚えて、この時代の中で祈ってまいりましょう。

1ペテロ4:7,8

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

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