メシアの到来 詩篇133:1-3 2022年12月4日
待降節第2週の主日となりました。 主イエスのご降誕を待ち望むのは、とても楽しい時であると思います。また、自らの信仰を吟味するときでもありますね。また、教会はともに集まる所ですから、主にある一体感を持つ...
待降節第2週の主日となりました。 主イエスのご降誕を待ち望むのは、とても楽しい時であると思います。また、自らの信仰を吟味するときでもありますね。また、教会はともに集まる所ですから、主にある一体感を持つ...
教会のカレンダーは、あと1枚になりました。今月と12月を過ぎれば、2023年です。コロナ禍にあって、教会がこの地域で果たすことは何か、考えさせられます。 本日も、ともに集うことの幸い、礼拝と交わりの中...
この詩篇は、都のぼりの歌であるとともに、悔い改めの詩篇の一つされています。深い淵は、人生のどん底のようなつらい経験を表します。それとともに、最も深い淵、底なしの淵は、人の罪です。そこからのうめきを主な...
教会は、神の家族ともいわれます。サザエさん一家のような姿は、現代ではあまりないかもしれません。たとい理想の家族像であってもいい、みんな仲良く過ごしたいと願うものです。詩篇から現代に通じる、家族としての...
詩篇126の1節は「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき」と訳されていました。ユダヤ人にとっての民族として受けた大きな苦しみは、バビロン捕囚といわれる出来事です。神殿での礼拝ができなくなった民は、そん...
立秋を過ぎ、丘の上も秋の空になっていました。先週末の朝は、澄み切った空になりました。 今週も、まだ暑さが残っていますが、心さわやかに過ごしていきたいものです。 騒がしい世にあって、神様の下さった平安、...
丘の上教会近くの、県営住宅からの眺めです。晴れていれば、この方向に筑波山が見えます。あなたとって目を上げて見える山は、どんな山でしょうか。その山も、そして海も地も造られた方からの助けがあることを、心に...
論語読みの論語知らず、という言葉があります。その意味は、皆様ご存じのとおりです。私たちも、聖書読みの聖書知らず、にならないようにしないといけません。 ユダヤ人は、神から受けた律法を実行すること、守り行...
本日の説教は、坂路孝夫兄でした。イエスはガリラヤ湖のほとりで教えられました。それだけでなく、イエスの評判を聞いてやってきた多くの人たちを癒したのです。ただひとりでありながら、三つの位格をもって存在して...
本日のご奉仕は、絵描き牧師、早矢仕宗伯先生でした。静かな語り口の中に、イエス様がいてくださる、そのことが人を生かすことを改めて確信をもって語ってくださいました。昼食をともにしながらの交わりも、深い気づ...